実はファンタジー作品って苦手で・・・ちょっと心配だったのですが、意外にもすごく見やすかったです。テーマは普遍的なんですよね。敢えてファンタジーを舞台にしたという事で。
『愛する事が悲しみを生むなら、誰も愛さないほうがいいのか?』という問いに、丁寧に答えたような作品だった気がします。
さよならの朝に約束の花をかざろう予告編/PV映像)より (当ブログの画像引用について) ©PROJECT MAQUIA |
舞台は全く違いますが、2015年の『心が叫びたがってるんだ』とメッセージの共通性を感じましたね。描いているものは『ここさけ』が恋なら『さよ朝』は愛ですけど。
関連 映画 心が叫びたがってるんだ。 感想 :あの花にイマイチ感動できなかった人に勧めたい恋愛の名作 - アニメとスピーカーと‥
どちらも『傷つくことを避けたい』という現代の空気に対して、岡田麿里さんからの強いメッセージが込められていた気がします。
※後半にネタバレのあるレビューです(スキップできます)
『愛』をどうやって表現するか
この映画って、作品自体が『愛』を体現しているみたいなんですよね。約2時間かけて、少しづつ、少しづつ、丹念に積み重ねていくようなところが。
恋が『一瞬のきらめき』なら、愛は『少しずつの積み重ね』って事ですかね。
『ヒビオル』(日々織る)と呼ばれる布が、この作品を通したキーワードですが、まさに一本一本紡いでいくような作品。
イオルフの民は布に意味を織り込む伝統を持つ 数百年を老いずに生きる希少な民族 ©PROJECT MAQUIA |
スピード感のある昨今の作品からすると、中盤なんかはテンポがゆっくりに感じますけどね。最後に『実感』させてくれるんですよね。
実感というか体感かな?これが『愛』・・・って、こうやって時間をかけてでしか表現できない概念。恋と違って『ときめき』とかでは表現できないものですね。
それを純粋に表現するためのファンタジーの舞台だった気がします。
作品の核心を大切にするために
ファンタジーとしての面白さとか、戦争の不条理さとか・・・それも描かれているんですよ。もちろん。ただ、部分的にみればもっと膨らませる事はできた気はしますよね。
でも、そこが強くなりすぎるとこの作品の本質が見えなくなってしまう。だから敢えて抑えた気がするんですよね。
ファンタジーとしての世界は美しい美術で表現されている 特に都市の描き方は特徴的で面白い ©PROJECT MAQUIA |
この作品の核心を大切にしたい。それなら自分で責任を取るべきだ。そう思ったから、岡田麿里さんは自ら初監督を希望したのかも・・・そう感じました。
※次章よりネタバレが含まれます。(ネタバレの章を飛ばして最終章へリンク)
あいまいになる『ヒビオル』という言葉
ところで『ヒビオル』の意味、『日々を織る』って書きましたけど、勘が悪いので鑑賞後に気がついたんですよね(笑)(公式ページに書いてありました)
もちろん劇中でも説明あるんだけど、なぜか途中で意味が曖昧になったんです。というのも、途中から布だけじゃない意味に聞こえるんですよね。『私のヒビオルが・・・』みたいな。
主人公マキアとエリアル 『ヒビオル』の意味の広がりと共に物語も展開していく ©PROJECT MAQUIA |
単に『記録された布』っていう意味だけじゃなく『記憶』とか『思い出』という感じですかね。とにかく『大切なもの』というニュアンスを感じました。
なんかこの『ヒビオル』という言葉の曖昧さというか、多くの意味を織り込んだ感じが、この作品のキーワードとしてすごい効いているんですよね。
なぜレイリアは『忘れて!』と叫んだのか
この作品で一番印象に残ったのはレイリアですね・・・マキアと対照的に描かれるイオルフ族一の美少女。
愛し合っていたレイリアとクリム 過酷な運命は彼らから何もかも奪ってしまう 鑑賞後に見返すとつらいシーン ©PROJECT MAQUIA |
特に彼女のラストシーンは『えっ?』って感じで・・・一瞬ポカーンでした。どうしてようやく再会できた娘に『私のことは忘れて!』と叫んだのか?
でも、後になってレイリアのセリフを思い返すと彼女の気持ちがわかった気がします。それは『私のヒビオルにあなたはいない・・・』(みたいなセリフ)
記憶を紡いだマキア、紡げなかったレイリア
愛する人を失い、故郷を破壊され、失意のうちに宿した娘。それすら会えずに無為に過ごす長い年月。
たとえ血のつながりがあっても日々の記憶を重ねられなかったレイリア。
無為に時間を浪費させられたレイリア 失った上にさらに失い続ける事を強いられる過酷さ ©PROJECT MAQUIA |
それに対して、マキアとエリアルには、たとえ血の繋がりがなくても愛があるんですよね。それは日々紡がれた記憶によって紡がれた親子の愛・・・まさにヒビオル。
それでもレイリアは、娘の助命を懇願し、最後まで再会を熱望していたじゃないですか。あの思いは本当だと思う。
一見すると支離滅裂にも見えるレイリアの行動。自由人になっちゃったの?なんて、最初は混乱してしまいました。
私のヒビオルには娘がいない・・・
でも、レイリアは娘と再会した『あの一瞬』に悟ったんだと思う。
それは、娘に『誰?』と言われた時かな・・・でも、本当はずっと前から分かっていたのかもしれないけどね。
私のヒビオルには娘がいない・・・娘のビヒオルには自分がいない。
このような何気ない日々の積み重ねが もはや取り戻せないほど大きいものになっていると感じ レイリアは運命を受け入れたのかもしれない ©PROJECT MAQUIA |
一度紡いでしまったヒビオルは戻せない。そこに『ほつれ』があっても完全には直せない。紡げなかった日々を取り戻すことはできないから。
レイリアの優しさが言わせたセリフ
だからあのセリフは『優しさ』だと思う。自分勝手とは正反対の優しさ。
レイリアは『母』であることを諦め、娘の人生の一部になることを諦めたんだと思う。それが成長してしまった娘のため。それが娘の幸せだと思ったから。
だからレイリアは娘に対して、自分の存在を『布のほつれ』程度のものだと言ったんじゃないかな。だから忘れていいんだよ・・・と。
本当は娘に駆け寄って抱きしめたかったのかもしれない。改めて日々を紡ぎ始めることもできたかもしれない。
再び飛び立つには運命を受け入れるしかなかった 飛び立つ事は不条理極まる彼女にとって唯一の光だったのかもしれない ©PROJECT MAQUIA |
でも今、一瞬の風のように消えることが、そして長い人生のなかで『気にしない』ほどの小さな『ホツレ』にすることが、互いのためになると考えた・・・。
これが良かったのかどうかは、正直わからないですけどね。
でも、何もかも失ってしまったレイリアが、今一度、自分の意思で飛び立つには・・・・それしかなかったのかもしれない。
自分にはレイリアの行動が、そんな風に感じました。この不条理さ・・・レイリアの行動はこの作品にすごく厚みを与えるものだと思います。
無数の記憶の断片が飛び散るようなラスト
そして本当のラストシーン。すごく印象的でしたよね。
象徴的なタンポポの綿毛。そして過剰なくらいの回想シーン!
いきなり『孫』がでてきて時間を超えた感じと、タンポポの綿毛っていう世代をつなぐ象徴が交差する感じがすごく好きでした。
あとで見るとタンポポのシーンがたくさんある 象徴としての綿毛だと感じた ©PROJECT MAQUIA |
繋がっていく、繋がっていく・・・日々の記憶が繋がっていく。ラストシーンを見ながらそう感じました。
無数のタンポポの種が舞う光景と、無数に繰り返される記憶の断片。これまで紡いできた糸が、涙とともにパラパラと解けるように感じました。
正直、泣きながらも笑っちゃうくらいの過剰さでしたね。
思うにあのシーンの過剰さって敢えてやってる気がするんですよね。(あのシーン見て『ニューシネマパラダイス』を思い出しちゃいました)
本編では使われなかったシーンとかも沢山出てくるじゃないですか。描かれなかったけど、いろんな思い出がいっぱい、いっぱい、いっぱい・・・あるんだなぁって想像させる。
この繰り返しで、記憶の断片の見えない部分まで、一本一本の糸まで感じるような人生の密度を感じる事ができた気がします。
そして、つまりこれが『愛』だよなぁ・・・って思うんですよね。
この時代に『愛』を語る意味
自分は男性だけど、男でも母性的な感覚を持ってる人は多いと思うんですよね。自分も割とそうだし、逆もあると思う。だから別に『女性なら共感できる作品』かどうかはわからないです。
でもこの作品ってよく考えたら『親子愛』に絞ったテーマではない気がするんですよね。もっと広い意味での『愛』というか。
初見の印象では『親子愛』が強かったが よく考えてみると親子に限らない愛を語っている気がした ©PROJECT MAQUIA |
見終わって一番に思ったのは『時代性を感じるなぁ・・・』って事でした。
様々な価値観が変化していく中で、『愛』についても古い価値観が崩れてしまっている。そして変化する時には必ず歪みが生じるわけです。
そんな中で苦しんだり、流されたり、諦めてしまう人たちがたくさんいるわけだけど、それでも『愛の本質』っていうのは変わらないわけですよね。
だからこそ、ファンタジーという現実離れした舞台で描くことで、愛の本質的な部分を伝えようとする試みだった気がします。
それでも『説教くさく』ならない魅力
別に岡田麿里さんが、明確な意図を持って活動しているとは思わないけど、やっぱり無意識だとしても『今語るべきものを書いている』という感じは強く感じました。
ともすると説教くさくなりがちなテーマを、ギリギリのところで回避してるところがすごいなぁと思うんですよね。
マキアはエリアルを生かしたと同時にエリアルに生かされた。 マリアはすでにエリアルに守ってもらったと言える。 人を愛するという事は『生きる理由』になる。 ©PROJECT MAQUIA |
単に『親子っていいでしょ?子供欲しくなったででしょ?』とか、まして『子供がいなけりゃ養子をとりましょう』なんて短絡的なメッセージを感じたら、すぐ興ざめじゃないですか(笑)
自分には子供がいないのでそういうテーマには敏感ですが、この作品には嫌な感じが全然しませんでした。押し付けがましさがないんだなぁ。
それはやっぱり『愛』の本質的な部分に集中しているからじゃないかな?と思うんですよね。
『あの花』『ここさけ』に感動しなかった人こそ。
自分は岡田麿里さんの作品って、『あの花』『ここさけ』ぐらいで詳しいわけじゃないです。名作の『とらドラ!』『true tears』なんかもまだ未見だし。(『花咲くいろは』はちょと合わなくて脱落したけど)
ただ、『ここさけ』は超絶ファンと言いたいくらいに好きです。『さよ朝』も相当泣きましたけどね(笑)『ここさけ』より好きか?と問われれば、正直『ここさけ』の方が好きです。
でも、好きとか嫌いを超えた何かが伝わった作品でしたね。初監督作品だから・・・とか技術的なことで評価するのは憚られるような不思議な感じ。それは監督の訴えかけるような『何か』を感じた作品だからかな。
そんな時、ぬーぼー(@yasusuke0325)さんのツイートを見てビックリしました!
あの花、ここさけ、ではまったく感動しなかった私ですが、さよ朝は号泣しました。— ぬーぼー (@yasusuke0325) 2018年2月24日
え、なんと!そっか・・・もしや、岡田麿里さんは、同じ人が感動する作品を繰り返し作るのではなく、作品ごとに『感動させる層』を書き分けてるんじゃないか?
共感するポイントをずらしながら作れるから、ピンポイントで強烈に号泣する作品になる。『ここさけ』と全く同じだ・・・!
『ここさけ』も駄作という人は少ないんだけど、一部の『強烈なファン』と『まあ普通』という感じにはっきりと分かれる作品でした。
自分の勘違いかもしれないけど・・・そんな芸当が出来るとすると・・・ホント岡田麿里さんという人の才能に恐怖を感じる作品でした(笑)
パンフレットで堀川社長が書いてましたが、岡田さんは「創作のポケットがパンパンに膨れてて底知れない」そうです。いろんな立場、バックボーンを持った人に刺さる物語を書き分けられるということでしょうね。— けいどら△Aqoursファンミ千葉2日目夜現地組 (@kei_dora) 2018年3月3日
感想を書いてる時にけいどら(@kei_dora)さんから的確なツイートが。全くその通りです!どうやったらそんな風に書き分けられるのか想像もつかないですが・・・。
とにかく、今の時代に見る事ができて良かったと思う作品でした!
『さよならの朝に約束の花をかざろう』公式サイト
http://sayoasa.jp
オリジナルアニメ作品/115分
監督/脚本:岡田麿里/制作:P.A.WORKS
関連 映画 心が叫びたがってるんだ。 感想 :あの花にイマイチ感動できなかった人に勧めたい恋愛の名作 - アニメとスピーカーと‥
関連 映画『空の青さを知る人よ』感想:震えるほど泣いた2019年屈指の傑作! - アニメとスピーカーと‥https://kato19.blogspot.com/2019/10/soranoaosa.html
コメント紹介いただきありがとうございました。
返信削除あのラストのたんぽぽのシーン、マキアの涙がたんぽぽの綿毛になってキラキラと飛んで行くようで美しかったですね。
我慢して我慢して、最後に流した愛のこもった涙。
たんぽぽの花言葉は「真心の愛」(ほかにもいくつかありますが)、
綿毛のたんぽぽは「別離」だそうです。
それを考えるとなんかもう・・・たまらないです。
岡田脚本の『説教くさく』ならない魅力については、入野自由さんもインタビューで語っていましたね。
説教臭く、というか、セリフ自体がクサく感じない力があるって言ってました。
終盤のエリアルとディタが赤ん坊を抱いて話すシーンで
「母さんが育ててくれた俺は、ディタを愛している。同じようにこれから誰かを愛するであろうこの子を、二人で育てていこう」(うろ覚え)
というセリフがまさにそうで、普通のドラマや実生活で聞いたらクサすぎて笑ってしまいそうなセリフでも、岡田脚本アニメだとすっと聞けるんですよね。
なんでか、あのディタとエリアルのシーンが一番自分にとっては泣けますね。
マキアの愛が、エリアルとディタを優しく包んでいて、そこから産まれた新たな愛が小さな生命に引き継がれて、こうして愛の連鎖が、ヒビオルの布のようにつながっていくんだなぁ、と妙に感動したポイントでした。
結婚もせず子供も作らず好き勝手に生きてる自分だからこそ余計に刺さるのかもしれません(;´∀`)
けいどらさん、コメントありがとうございます!
削除たんぽぽの花言葉・・・なるほど!これはヤバイですね(笑)愛と別れが重なったイメージ。愛を育むと同時に別離が織り込まれているって感じ。『別れの一族』と言葉にすると簡単だけど、こうやってイメージが重なるとすごく響きます。これはいいですね。
それにしても、明らかにクサイ台詞(失礼)でも、なぜか素直に聞けてしまう不思議。素直に心に入ってくるので、逆に心に刺さるのかなぁ?ホント上手いですよね。エリアルとディタのシーンも良かったですね。あのシーンは見る人の状況によって刺さり方が複雑そうです。
この作品って、ホント『誰向け』って言えなくて、どういう立場・状況のひとでも、それぞれに感じるところがあるんじゃないか?って思いますね。(岡田麿里さんって自分の想像を超えてる感じで正直下手なこと言えないってのもありますが)
あと、この作品って、ただキレイなだけじゃない、なんか引っかかる所とか、あえて作ってる気がして、そういう所が妙に魅力に感じます。『ここさけ』の順の罵詈雑言とかも、過剰気味というか、初見ではちょっと引いて笑っちゃうくらいでしたけど、結果的にあれがすごく作品の厚みになってた気がします。厚みを感じるから興ざめしないのかな。
記事も読んでいただきありがとうございました!それにしてももう少しお客入って欲しい気がしますね。ちょっと心配かも。
私はレイリアの描写についてはかなり理詰めで考えたので感情的な方向で見るとこうも見方が変わるのかと関心してしまいました。
返信削除私はレイリアが「ヒビオルの塔に似ているから」と言ってレナトが赤目病で死んでいく姿を見続けた所から考えたんですよね
レナトも寿命は長そうなのに病気でドンドン死んでいく。犬は土葬なのに赤目病で死ぬレナトは焼いて灰を地中不覚に埋めると言っているので人に感染する可能性もあるんでしょう
だから彼女はメドメルより早く死ぬ可能性を考えたのかなって…
結果、下手な行動もできず、籠の鳥でいることを選び、飛べずにいた
連合軍が3つの国なのも気になりました
戦争はどんな時も、利益を得るためか損益を回避する為に起きます。善意で起こる戦争はない
3つの国はどんな益を求めたのか。レナトも一頭になり、権威を失ったメザーテからの損益を回避するためとは考えにくい。
ぱっと考えて3等分できる利益はイオルフの生き残り3人ではないかと思いました
メザーテから解放し、保護するという名目で囲い込むつもりだったんじゃないかと
だからクリムは連合軍を焚き付けておきながら護衛もなしで城に潜入し、レイリアを連れ去ろうとしたんだろうと思いました。結果死んでしまいますが…
このままでは3つの国で二人の取り合いです。もう逃げるしかないわけですがメドメルをどうするのか。数百年生きる自分たちの逃避行に小さい子供を連れて行くわけにもいかず、かと言ってそのままではレイリアをおびき寄せる人質です。
だからレイリアはこれから籠の鳥として生きるであろうメドメルに、籠の鳥が飛ぶ姿を見せ、あなたのことは忘れる(娘のことを自分をおびき寄せるための餌になんてさせない)と言ったのではないかなと思いました
マキアは対象的に寿命を真っ当することに疑問を感じず、エリアルたちが自分より早く死ぬという事実に泣き出してしまいます。
マキアは長い時間をかけて注ぐ愛を、レイリアは一瞬で注がざるをえない愛を作品を通して私達に見せたのかなと思いました
めっちゃ長くなってすみません><
この作品、意図的に情報削ってあるんですよね明らかに。尺の都合もあるんでしょうが
私はそういう映画を見る側なので寧ろ考えてる時間が凄い楽しかったのですが昨今の説明セリフ過多な傾向考えると受けないだろうなぁというのが正直な感想です
ぱそやんさん、コメントありがとうございます!長くても全然OKです。
削除マキアとレイリアの対比について、その見方は気づかなかったのですごく面白いと思いました。特にレイリアの寿命については全く想像してなかったのでびっくりしました。確かにレナトの赤目病の描写は自分も引っかかる所だったんですよね。
あと政治描写については色々とウラがありそうでしたね。クリムが『悪魔と取引』とまでは言わなくても、危険な橋を渡っている雰囲気は自分も感じました。イオルフ族の囲い込みっていうのは確かに納得感ありますね。
私とは解釈の違いはありますが、ぱそやんさんの意見を聞いて自分もまた新たな気づきが芽生えてきました。特にレイリアとレナトの対比について色々想像してしまいました。
私も、情報のない部分については適当に想像で補ってみてしまうので、変な矛盾があるよりは情報が削ってある方が見やすかったりします。勝手な想像かもしれないですけど。
自分の想像力だけでは補えない見方を知ることができて良かったです。ブログ読んでいただきありがとうございました!
katoさん、こんばんは! お返事ありがとうございました。
返信削除感想、上手くまとまったですね。よかったです!
正直言って、<この映画の内容は、腹に落ちた>の一言です。
もう暫く、他の映画は見ることができないほどです。私の心はスクリーンの向こう側にさらわれてしまいました。もう暫く......と言ったのは、<この映画は、とても映画的だから>です。
katoさんが、「この時代に『愛』を語る意味とおっしゃっていました。<愛>すること、本来は素直であることなのだと私は思います。出会いがあり、別れがある。それは命に限りがあるから、自然なことなのであらがえない。苦しいことがあり、うれしいこともある。振り返るとほろにがい、でも、素晴らしく思う、感謝もする。それをマキアたちが、思いださせてくれたような気がします。
この映画の主人公マキアは泣き虫です。故郷を離れ、外界のきびしさとうつくしさを知り、他者と関わる中で、彼女は<覚悟>を持ち、長い時間をかけて、エリアルの母親らしくあろうと、ある約束を守り、努力をしていきます......。私は思うのですが、現代人に足らないのは、<覚悟>と<永遠のように長くて、一瞬みたいな密度の濃い、時間>なのかなと......。
ラスト間際、エリアルの最期を看取ったあと、帰り道でマキアとバウロが会話する場面がとても気に入っています。セリフがいいんですよ。「終わったか?」「終わりません、私が生きている限り、エリアルは生きてます」「長老が喜ぶだろうよ、哀しいだけの別ればかりではないと知って」「愛してよかったと思ってます」
......の旨を言っていったと記憶しております。(私の記憶間違いがあれば、ごめんなさい)
私にとっての<岡田磨里xP.A.WORKS>(あるいは、P.A.WORKS作品すべて)は、<宝箱>です。何が出て来るかわからないドキドキ感と見終った後の爽快感、満足感にあふれてます。そして、生きていくこと、努力すること、そしてあるがままなことを肯定してくれます。
岡田さんxP.A.WORKSのアニメのなかで、『さよならの朝に約束の花をかざろう』に感じが近いのは、立場の違う人たちとの交流、生きる時間が異なってしまった仲間たちを描いた『凪のあすから』(2013年10月~2014年4月放映)だろうと思います。(よかったら十分な時間がある時に、ご覧ください。全26話)
昨年公開された映画『先生!好きになってもいいですか?』の脚本も岡田磨里さんでした、「人を好きになることに真摯に向き合った」まっすぐに、素直で、気持ちがいい話の展開でした(想像していたよりも、ストレートな感じです。当初、岡田さんだから、激しい言葉が飛びかう辛口の物語かなと先入観を持っていました.....)。ご本人のコメントでは「原作に、切なさに胸がきゅとなったり、興奮のあまり身悶えしたりする瞬間をいただいた。その時の気持ちと感情を表現しました」とおっしゃってます。独特な切り口のストーリーテラーの顔、そして職業脚本家の顔。シリーズ構成・脚本を務めたアニメのOP曲の作詞に挑戦したり、半自伝のエッセイを執筆もしました。どれだけあるのだろうか?と思うくらい、複数の岡田さんの顔が、ここ5,6年(この映画の準備と製作にかかった期間)、垣間見られる時期でした。katoさんの「書き分けてる」という意見も正解かもしれません。とても面白いと思います。
そして、この『さよならの朝に約束の花をかざろう』の脚本も素晴らしいと思います。話の展開が奇をてらうこともなく、淡々と描かれています。
そしてなにより、私、この映画に関しては、「次はこのようになる」と、話の展開が読みやすいのです。映画を長年ご覧になっている人ならわかっていただけると思います。最初に『映画的な映画といった理由なのです。』
<さりげなく自然に無理なく伏線を張り、期待を持たせ、細かく且つ最小限のカットをつなぎ、最後の大見せ場、感動的なシーンへとバトンをわたす。ああ!そうだったな!とサラッと思えるような。>、例えば:もともとおてんば娘だったレイリア......長きの囚われの身から解放されて、実の娘に別れを告げ、(それを前後して、マキアがお城の別の場所で何かを始める...みたいな描写!が入り)....そして彼女が心を決め、お城の塔からジャンプした後......「歌舞伎のような」「大向うを唸らせる」日本一!待ってました!的な落ちをつける)>......あの場面は本当に「待ってました!」と声をかけそうでした(笑)
そして、作画の演出(で見せること)で意味がわかることを最大限生かして、それに絡めて<最小限に抑えるセリフで人物の心情を表わす......>、しゃべり過ぎないところが、私は好きでした。
観客を信用して、観客(の想像力)に(解釈を)委ねること」=今回の映画、そこが岡田磨里さんのやりたかったことなのだそうです。
それから、キャストの石見舞菜香さん(TVアニメ『ゲーマーズ』の口下手な高校生・星ノ守千秋役、「~~です!デス!」の口調は耳から離れません)の初々しさは、マキアにどんぴしゃりです。
その石見さんを、脇で支える中堅、ベテランの声優さんたちの存在もいいですよね。岡田作品のなつかしい顔ぶれもいますし、なかでも杉田智和さん、平田広明さんの味のある声を聴きくと、少し落ち着きます(笑)
まとまりがなく、長々と過剰な形容をしすぎた感想を申しました、ごめんなさい。そして、ありがとうございました。それではまた!
Hidebow-Rainbo-Frawbow さん、コメントありがとうございます!
削除ねぎらいの言葉ありがとうございます(笑)今回はなぜか自分の感じたことがうまく表現できなくてなんども書き直してしまいました。
それだけにHidebow-Rainbo-Frawbow さんの絶賛系の感想が読めて、嬉しいやら、羨ましいやら(笑)です。読んでいて自分がぼんやり受け止めていた部分が明確になる感じがしました。
特に時間の部分についてはおっしゃる通りですね。だからこその覚悟ですね。『泣かない』というのもまさに『覚悟』が表現されたものなんですね。
それにしても岡田磨里さんに関する情報!すごいです。(でもスラスラ読めました)詳しくなかったのですごく参考になりました。『凪のあすから』は実は前半部分(時間が飛んだ後くらい)まで見たんですよね。正直冒頭はちょっと合わないかな?と思ってたんですが、急にいい雰囲気になってきたので、大事に見ようと思ってたらそのままになってしまいました・・・。これはちゃんと見なければ!『先生!好きになってもいいですか?』の方なんで全然チェックしてなかったのですごく参考になりました。
『映画的な映画』という意見もいいですね。確かにこの作品って見せ場がちゃんと見せ場になってる感じがしました。観客に委ねるっていうのも言うは易しですが、実際には怖いですよね。単に説明不足って言われる可能性もあるし。この辺が岡田麿里さんの実力のなせる技なんだろうなぁと。
それにしても、この作品も刺さる人には『強烈に』刺さる作品みたいで、改めてすごいなぁ・・・と感じました。熱い感想いただいて本当にありがとうございます。自分の感想だと足りない部分を、皆さんに補ってもらえているようで嬉しいです!いつも読んでいただきありがとうございます。
自分も先週見ました。
返信削除公式サイトのあらすじくらい読んで見た方が良いと言われたのであらすじを読んでから見ました。
ストーリー的にメイン2人が恋仲になって謎の奇跡パワーでハッピーエンドかな?とか想像してました(笑)
ストーリー的に起承転結の振り幅が少なく淡々とストーリーが進行していってクライマックスの盛り上がりもなく静かに幕を閉じたという印象ですけど、
終盤の走馬灯でボロ泣きしてしまいました。
おかげでこちらの記事で書かれていたタンポポの花が記憶にないです(笑)涙でスクリーンが見えなくなってたからかな…?
赤ちゃんが生まれてマキアの事を『母さん』と言ったところで終わりかと思ってしまいました 普通の話ならこの辺りで終わりなのでしょうけどこの映画はそこから一歩踏み込んで別れを描いて更にその先に進んだところまで描いていてバットエンドでもハッピーエンドでもない不思議な余韻を残した映画でした。
まぁ確かにキャラによっては描写が足りないかなと思うことがありました…
なんでイゾルさんはレイリアを国に連れ帰ったのか?
結局イゾルさんはレイリアに気があったのか?とか
疑問に思いましたけど勝手に解釈してイオルフの里に攻めた時にレイリアに一目惚れしたと判断しました(笑)それで自分の本心?と立場上の自制心がせめぎあって思わせ振りな行動をしたということにします!
あとメドメル置いてっちゃったけどイオルフの血をひいているから長生きする可能性があるのに置いていって良いの?とか心配してしまいました(笑)
髪が茶髪なので大丈夫なんですかね?
この映画で泣けましたけどパンフ、グッズが売り切れで更に泣けました…💦
また見に行く予定ですので再入荷に期待します。
TTさん、コメントありがとうございます!
削除『ストーリー的にメイン2人が恋仲になって・・・』って、実は自分もちょっと思ってました(笑)でも見方によっては単に親子愛だけじゃない受け止め方もできる気がします。あくまで受け取る側の感覚なんですが。
若い姿で長く生きるという設定は、正直見る前は陳腐な感じがしたんですよね。でも実際には、予想以上にいろんな影響というか、物語の厚みを増している気がしました。単純なようで単純じゃない感じ、まさに不思議な余韻です。
イゾルさんの心については明らかに特別なものを感じましたね。当初は軍人として私情は消していたのでしょうけどね。ただ王族のあまりの醜態を見せつけられて、自分の非人道的な行動を正当化するのが難しくなったのかな。辛い立場ですよね。
ちなみにメドメルは自分も大丈夫か?って思いました。長生きしなくても、その後が心配ですよね。まあ強い子供っぽい感じはしましたが。その後を知りたい人物です。
あとタンポポのシーンはうろ覚えなので間違ってたらゴメンなさい!(もう一度見に行きたいのですがうまく時間が取れなくて未確認です)自分も再度に見いく予定です。感想いつも感想読んでいただきありがとうございます!