全体にオシャレな感じで2クールもさらっと見せてくれる。夢中になるって訳でもないけど不思議と見てしまう作品。
割と賛否両論といった感じでしたが、自分は何となく不満がなくてスルスルと観てしまいました。
OPのオシャレな感じがすごく好印象 PVより画像引用(当ブログの画像引用について) ©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会 |
でもこの美しく優しい作品を見終わった時に感じたのは『絶望』だったんだよなぁ。逆説的ですが『もはや音楽に世界を変える力はない』って見せつけられたような気分になった。
この未来の火星を舞台にした『おとぎ話』は、もはや『We Are The World』が通用しない時代の難しさを教えてくれる。
この作品はそんな時代の『癒し』なのか、それとも壮大な『皮肉』なんだろうか。
『キャロル&チューズデイ』PV(公式)
※今回の感想は『作品の評価』というより、作品を見て感じた事というか、妄想なので・・・そのつもりで読んでいただけると幸いです。
火星を舞台にしながら・・・
初回ではSF的な展開を期待しちゃったわけですが、火星を舞台にしながら火星らしさはほとんどない。そしてなんともクラシカルな未来世界。AIが出てきながらも掘り下げる事はしない・・・。
かなりの未来なのに生活様式があまりに現代風。 最初は違和感あったけど、あえてやってるような気がする。 ©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会 |
それらはすべて『現実のアメリカ』を強くイメージさせながらリアリティーを回避するための舞台装置だったんですよね。
現代社会に対する一種の『寓話』であることは明らかで、初めっからSFにするつもりはない。これは音楽で世界を変えるという、ある意味ものすごくクラシカルな作品。
音楽作品にこだわりのある渡辺信一郎 総監督らしい作品だと思ってみると、いろんな違和感はある意味納得なんですよね。
We Are The World
最終回に明かされる奇跡の7分間。
それが『We Are The World』をモチーフにしたラストシーン。マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作による歴史的な曲ですよね。著名なアーティストが集結した『USA for Africa』プロジェクト。
『We Are The World』の歌詞は、キリスト教的価値観が強く滲み出ながらも、先進国から途上国へ、富める者から恵まれない者へ手を差し伸べようというメッセージソングでした。
それは幻想だったかもしれないけど、実際にチャリティームーブメントを引き起こして世界に影響を与えたのは確か。
でも今、これを再現することで世界を変える事はできるだろうか。そこにこの作品の抱える大きな矛盾があると思います。
現代は内部からひび割れる分断
現代の社会は、自らの足元から分断が進むような世界。遠くの世界ではなく、内部からひび割れるように分裂しようとしている。
グローバル化によって世界の経済は急速に平準化されるなか、皮肉にも人々の分断はより深くなっていく。もはや断絶の広がりは止められそうにない大きな流れになっている。
有名人が歌で統合を呼びかけることで解決できるは思えないわけですよ・・・今思うと『We Are The World』の時代はわかりやすい世界だったのかもしれないですね。
テクノロジーは分断を加速させる
分断の原因はグローバル化だけではない。
発達した情報技術は人間を進歩させるだけでなく、憎しみを増大させ分断を加速することに大いに役立っている。
そして、AIは人の能力を増大させるだけでなく、人を管理し抑圧することに力を発揮するらしいことは、日々のニュースで強く示唆されている。
AIをあやつるTAO AIの作る音楽の未来というのも注目点だったが・・・ ©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会 |
その流れを押し留める事はどうやらできないらしい。かつては楽観的にテクノロジーの進歩に人類の明るい未来を見ていたんだけど、未来が来てみればそれは幻想だった。
テクノロジーの進歩に人間は追いつけない。これまでの歴史がそうだったように、行き着くところまで行き着き、破局を経験して初めて学ぶことができるのだと思う。
最終回のサブタイトル
『キャロル&チューズデイ』は作中でそれらの問題提起をしているにもかかわらず、深く掘り下げることなく楽観的な解決でまとめている。
でもこれは仕方がない・・・解決方法なんて思いつかないのだから。
この作品は毎回サブタイトルを洋楽の楽曲タイトルにしている。
最終回はサム・クックの『A Change Is Gonna Come』という曲。これはアメリカの公民権運動をモチーフにした曲で、「いつかきっと変化は訪れる」という意味だという。
監督の本当の意図はわからないけど、自分には本作の楽観的な展開を象徴するサブタイトルだな・・・と感じたんだよね。
もはや為す術もない・・・でも「いつかきっと変化は訪れる」だろうって。
ただ、歴史の変化は天気のようには変わらない。公民権運動のように多くの軋轢と犠牲の向こう側にあるものだとしたら、今はまだその手前なんだと思う。
だとしたら、ちょっと気が重くなるね。
Motherとはなにか
そしてラストシーン。奇跡の七分間に流れる楽曲『Mother』の歌詞も象徴的なんだよね。
『We are the World』では「与えることから始めよう」と能動的な行動を促すのに対して『Mother』では「進むべき道を示して」と懇願する。
誰もがどうしていいのかわからない。『We are the World』のように『手を差し伸べて』救える問題ではないのだから。
1話から枕詞のように流れる『奇跡の7分間』 序盤では『2人のステージ』だと思わせる上手い演出でした。 ©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会 |
『Mother』の意味の一つはチューズデイの母親をイメージしているのだろうけど、もちろんそれだけじゃないはずで、『We are the World』が神を強く意識しているのに対して、同じような『大いなる存在』としての『Mother』なのかもしれない。
だとしたら『神頼み』という非常に日本的な感覚が出ていて面白いかもしれないね。アメリカ的な舞台を描きながら皮肉ではあるけど。
最後に:いま、音楽に世界を変える力はあるか・・・
子供の頃に夢見ていた未来は思っていたほど輝かしいものではないみたい・・・いま世界の歴史は混沌に向かって動いているように見える。この流れに抗うことは難しいよね。1930年代の人々もそんなかんじだったのかな・・・。
そんな風に考えている折、この作品に出会った。
色々書いたけど監督がどう意図してこの作品を作ったのかはわからない。素直に感動した人もいたと思うし、それを否定するつもりもないです。
実際にこだわりの楽曲は良かったし、なんだかんだ2クール脱落せずに見せてくれる力のある作品だったと思います。
でも自分には喉越しの良いおとぎ話に見えたのも事実。でも渡辺信一郎 総監督はそんなこと百も承知で、でも『We are the World』みたいな事をアニメでやりたかったんだと思う。世代的に'65年生まれってドンピシャだもんね。
もはや現実は救えない・・・ならば、せめておとぎ話のなかだけでも理想を語ろう。絶望した現代人の癒しとして・・・そう監督が思ったかはわからないけど。
それは、今まさに混沌に向かって落ちていく恐怖の裏返し。『キャロル&チューズデイ』の美しい物語は、自分たちがもはや『神頼み』しかできない無力さをを突きつけられた気がするのです。
追記:『ありきたりな奇跡』の意味
それにしても公式サイトのキャッチコピーはどういう意図なんだろう。
きっと忘れない。
あの、永遠のような一瞬を。
あの、ありきたりな奇跡を。
『キャロル&チューズデイ』公式サイトより
『ありきたりな奇跡』はある意味『ベタ』なクライマックスを意味しているのか。だとしたら、物語の奇跡なんて、どれも『ありきたり』だっていう、この作品自体がメタフィクションだと示唆するような表現なのかも・・・。
原作:BONES・渡辺信一郎
総監督:渡辺信一郎/監督:堀 元宣
色彩設計:垣田由紀子
アニメーション制作:ボンズ
『キャロル&チューズデイ』 公式サイト:http://caroleandtuesday.com
僕も「いま、音楽に世界を変える力はあるか・・・」って、ずっと感じていました。
返信削除そして、数多くの設定を全く掘り下げようとしていないことも気になっていました。火星が舞台なのに全然「らしくない」し、A.I.も子供向けマンガのレベルだし、「移民問題」はどこかに行っちゃうし、「Mother」で締めるのに、キャロルはお父さんっ子だし、アンジェラは3番めに重要なキャラなのに役割がわからないままだったし、挙げてゆくとキリがありません。
結局、主題の『We Are The World』のリアリズムをぼやかすための飾り付けだったのではと思っています。監督さんが20歳のときに観た『We Are The World』は、キラキラしたおとぎ話のように思えて、その感動を改めて作品にしようと試みた結果なのではないでしょうか?
だけど、「いま、音楽に世界を変える力はあるか・・・」という現実があって、「今風」にするためのギミック(火星とか、A.I.とか)をリアルに描くと現実が隠せなくなってしまい、全体をおとぎ話のトーンにする必要があったのではと考えています。
また、少しひねくれた考え方かもしれませんが、監督は『We Are The World』を作りたかったのだけれど、楽曲の提供とか、キャラクターデザインとか、アニメのクオリティとか、色々と協力してもらった方々のリクエストにより色々と未来的な設定を入れなければならなくて…
それはそれで、(アニメ業界に)「絶望」を感じてしまうのですけどね。
ビー玉さん、コメントありがとうございます!
削除そうなんですよね。未来の火星とか、AIが本格的に音楽を作り始めた時代とか、最初は設定にワクワクするところがありました。その後に移民問題が出てきたときも「お、こういう方向に展開するのか」と期待するところはありましたね。
SFを期待して実際はSF的じゃなかったってのは、まあ一歩譲って納得するとしても、やっぱり根本のところで『We Are The World』を再現してみたかった、ってことなのかな?と思いますね。いろんな伏線や設定もすべて、あのラストシーンを盛り上げるための伏線として用意したもの・・・なんて書くと厳しすぎるかもしれませんが。
明らかに現代アメリカっぽい内容を『あえて火星に舞台に設定』したってのも、確かに面白いんですよね。その点は上手いなと思いました。でもやってみると、やっぱり時代が違うし、現代の問題はより複雑になってて、『We Are The World』の再現どころか、逆にもはや歌にかつての力がないという現実を露呈した結果になった。
まあ、当然監督も悩んだんだろうと思うんですが・・・ご都合主義と言われようがストレートに突き通したのかなと思います。でも自分のようなひねくれ者(笑)には、それが逆説的に現代の写し鏡に見えてしまったのかもしれません。
おっしゃるように『色々と未来的な設定を入れなければならなくて…』なんてこともあったかもしれませんね。なにしろたくさんの要素が詰め込まれてますもんね。2クールだし、記念作品だからボリュームアップしたのだろうけど、重層的になるはずが、表層的というか、薄い内容にたくさん触れていくだけという感じになった気がします。
もちろん、渡辺信一郎さん得意の音楽部分とかすごい良かったし、かなり挑戦的な姿勢だったのは確かで、評価したいところも多いんですけどね。
ブログ読んでいただきありがとうございました!
katoさん、こんばんは!お返事ありがとうございます。
返信削除『ハイスコアガール』(1期)を見終りました。よかったです。2期は10月27日よりネットフリックスで配信開始の予定です。楽しみに待ちます(笑)
そして、『キャロル&チューズディ』(1~2期)24話も見終りました。
一話のサブタイトルは「True Colors」。シンディー・ローパーのヒット曲です。
チューズディが影響を受けたミュージシャンの一人。チューズディが家出をする場面でのナレーションで、「シンディ・ローパーの家出の件」が語られたり、チューズディがキャロルに音楽を初めたきっかけを話す場面で、この曲の歌詞が登場しますよね。原曲の歌詞も中身をアニメのストーリー(チューズデイの家出)にオーバーラップさせるのは、上手い描き方だなと思います。他の回でも、チューズデイはシンディさんのファンだと言っておりました。
それを見聞きして、このアニメは、サブタイトル名の原曲を知っていると、結構楽しめると気づきました。
物語の構成と設定が、複雑化してないので、「次はこうくるな」と読む事が出来て、一視聴者としては、大変助かります。
↑の様に、私は、katoさんとビー玉さんの意見とは、正反対のように捉えました。
私は、物語を追うよりも、異なった方向からのアプローチを試みました
まず見る前に、私なりの推論or予測を3つ立ててたから、視聴に臨みました。
(一つ目の予想):渡辺信一郎さんは、以前に OVA『マクロスプラス』で、AIに音楽を作らせるSF作品を手掛けているので、2番煎じの内容のアニメは作らないだろう。
(二つ目の予想):製作委員会を構成するメンバー(会社)の並び順に注目しました。
いつもなら、筆頭にくるのは、原作を保有する出版会社、映像制作・販売をする会社もしくは、テレビ局が多いです。しかし今回は、音楽制作を手掛けるフライングドック(レコード会社)が、一番上です。レコード会社が主導する音楽アニメかな?
ここから想像して、音楽を正面に据えた、「キャロル、チューズディのほかに、音楽が、もう一人の主役になるアニメ」では、ないだろうかと考えました。
(三つめの予想):全話に、「往年の名曲のタイトル」を振っています。名曲たちの歌い手や世界観や精神性をリスペクト、オマージュしている内容であるのだろう。皆さんがおっしゃるように、「寓話」なんです。
以上から、「音楽を楽しく、美しく、感動的に」描くのが、このアニメの目的であり、主題になるだろうと考えました。
観終わっての感想は、キャロル&チューズディが本当、楽しそうに音楽をしていました。私の目の前で、ふたりがライブをしているような錯覚に堕ちました(笑)。ただ単に各話各場面のストーリーを追うのでないんだ。キャロル&チューズディの成長を見守り、「今ここ」に、いま目の前のある音楽に、夢中になり楽しむアニメなんだなと思いました。
映画感想ブログと言えば、ストーリー中心の解釈する内容が多くみられます。オタク文化特有のスタイルをずっと継承しているような感じです。細かい点、複雑な設定にとびついてしまう傾向があるようと、私は分析してますが...(笑)
映画や映像作品は、いわば、文学、演劇、美術、音楽他などを複合的に、アッセンブルしている芸術ともいわれます。ですからね、ストーリーだけしか見ないのは、もったいないと思います。
ぜひ、多面的に、様々な角度から、見てほしい、味わってほしいと私は思います。
作り手が違えば、同じ題材でも、違っていて当然です、観る側も、柔軟に受け止める必要があるのではと、私は思います。
ですから、火星が舞台とか、最先端技術への警鐘とか、国家と個人とか、政治の話とか、音楽が世界を救うとか、ラストの「奇跡の7分間」とかは、キャロル&チューズディの成長物語の「出汁」に過ぎないと私は思います。渡辺信一郎総監督もインタビューで、そのようなことおっしゃってます。
渡辺信一郎総監督のインタビュー記事(2019年10月22日)
https://animeanime.jp/article/2019/10/22/49131.html
補足ですが、火星が舞台のSF作品といえば、レイ・ブラッドベリ著「火星年代記」がありますね。(以前、アメリカでTVドラマ化され、観たことがあります。)おそらくこの小説の影響でしょうか、『宇宙戦艦ヤマト』や『超時空要塞マクロス』などのアニメにも、火星基地の描写があり、ハリウッド映画にも、火星を舞台にした映画も多くあります。だから、私達の頭の中には、SF的なものだという先入観が大いにありますよね。
火星と言えば、私は、天野こずえ先生のマンガ『AQUA』『ARIA』(アニメ化もされてます)にも、出会っています。テラフォーミングされた後の火星(AQUA)の話です。この話には、細かく複雑なSF設定は登場せず、実にゆるいです(笑)。これはSF設定を楽しむお話ではなく、そこに住む人たちのゆっくりとした、時にミラクルな日常生活を、一緒に楽しむお話なのです。私はこれに影響されたためか、火星と聞いても、思い込みをしなくなりました(笑)
最後に、OP曲、ED曲、ライブシーンの挿入曲の数々。どれも素晴らし楽曲ばかりです。久々に、CDを購入したくなりました。
それでは、また遊びに来ます。ありがとうございました。
Hidebow-Rainbo-Frawbow さん、コメントありがとうございます!
削除『3つの推論』面白いですね!1の予想はさすがですね。自分は知識不足で知りませんでした。AIの展開について初めから見切りができれば惑わされませんね。2はすごい(笑)その視点でのアプローチは全く想定してませんでした。視聴を進めると納得ですが、最初の段階でその視点を持ってるとピントを合わせやすいですね。3については後から気づくと言う感じでしたね。自分は十分には気づけなかったのですが。
おっしゃる通りストーリーにある意味惑わされるとピントが外れてしまいますね。読んでいて思いましたが、自分が、不思議と抵抗なく見ることができたのも『いま目の前のある音楽』を楽しんでいる感じだったのかもしれません。自分の興味のある色んな要素(SFや政治やら)が裏切られるにも関わらず、あまり不快に感じられず見続けれらたのは不思議に感じていました。
キャロチュー記事のご紹介もありがとうございます!すごく参考になりますね。新たに発見する部分もありますが、自分の感想とかぶる部分もあって嬉しかったです。ミュージシャンが社会と関わらないではいられないっていうのも同感でしたし、『おとぎ話』なんて言葉も被っててびっくりしました。確かに、リアルな現代劇とすると小さなギャップがノイズになって音楽を楽しめなかったのかもしれませんね。
『ARIA』のお話もありがとうございます。この作品って火星が舞台だったんですね!全然気がつきませんでした(笑)たしか劇場版もありましたよね。当時自分は本編を知らなかったので、再放送?をチェックしたのですが、あまりに『ゆったり』しすぎてて眠くなった思い出があります。今ならもう少し楽しめるかもしれませんが。
参考になるコメントありがとうございました!あとでブログ本文の方にも追記で紹介させていただくかもしれません。またお気軽にお越しください。