『キャロル&チューズデイ』感想:未来のおとぎ話は絶望の現代を癒せるか?

2019/10/07

アニメ

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TVアニメ『キャロル&チューズデイ』を鑑賞しました。

 全体にオシャレな感じで2クールもさらっと見せてくれる。夢中になるって訳でもないけど不思議と見てしまう作品。

 割と賛否両論といった感じでしたが、自分は何となく不満がなくてスルスルと観てしまいました。

OPのオシャレな感じがすごく好印象
PVより画像引用(当ブログの画像引用について)
©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会

 でもこの美しく優しい作品を見終わった時に感じたのは『絶望』だったんだよなぁ。逆説的ですが『もはや音楽に世界を変える力はない』って見せつけられたような気分になった。

 この未来の火星を舞台にした『おとぎ話』は、もはや『We Are The World』が通用しない時代の難しさを教えてくれる。

 この作品はそんな時代の『癒し』なのか、それとも壮大な『皮肉』なんだろうか。


『キャロル&チューズデイ』PV(公式)
ネタバレありのレビューですのでご注意ください。
※今回の感想は『作品の評価』というより、作品を見て感じた事というか、妄想なので・・・そのつもりで読んでいただけると幸いです。

火星を舞台にしながら・・・


 初回ではSF的な展開を期待しちゃったわけですが、火星を舞台にしながら火星らしさはほとんどない。そしてなんともクラシカルな未来世界AIが出てきながらも掘り下げる事はしない・・・。
かなりの未来なのに生活様式があまりに現代風。
最初は違和感あったけど、あえてやってるような気がする。
©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会

 それらはすべて『現実のアメリカ』を強くイメージさせながらリアリティーを回避するための舞台装置だったんですよね。

 現代社会に対する一種の『寓話』であることは明らかで、初めっからSFにするつもりはない。これは音楽で世界を変えるという、ある意味ものすごくラシカルな作品

 音楽作品にこだわりのある渡辺信一郎 総監督らしい作品だと思ってみると、いろんな違和感はある意味納得なんですよね。

We Are The World


 最終回に明かされる奇跡の7分間。

 それが『We Are The World』をモチーフにしたラストシーン。マイケル・ジャクソンライオネル・リッチーの共作による歴史的な曲ですよね。著名なアーティストが集結した『USA for Africa』プロジェクト。

We Are The World』の歌詞は、キリスト教的価値観が強く滲み出ながらも、先進国から途上国へ、富める者から恵まれない者へ手を差し伸べようというメッセージソングでした。

 それは幻想だったかもしれないけど、実際にチャリティームーブメントを引き起こして世界に影響を与えたのは確か。

 でも今、これを再現することで世界を変える事はできるだろうか。そこにこの作品の抱える大きな矛盾があると思います。

現代は内部からひび割れる分断


 現代の社会は、自らの足元から分断が進むような世界。遠くの世界ではなく、内部からひび割れるように分裂しようとしている。

 グローバル化によって世界の経済は急速に平準化されるなか、皮肉にも人々の分断はより深くなっていく。もはや断絶の広がりは止められそうにない大きな流れになっている。

 有名人が歌で統合を呼びかけることで解決できるは思えないわけですよ・・・今思うと『We Are The World』の時代はわかりやすい世界だったのかもしれないですね。

テクノロジーは分断を加速させる


 分断の原因はグローバル化だけではない。

 発達した情報技術人間を進歩させるだけでなく、憎しみを増大させ分断を加速することに大いに役立っている。

 そして、AI人の能力を増大させるだけでなく、人を管理し抑圧することに力を発揮するらしいことは、日々のニュースで強く示唆されている。
AIをあやつるTAO
AIの作る音楽の未来というのも注目点だったが・・・
©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会

 その流れを押し留める事はどうやらできないらしい。かつては楽観的にテクノロジーの進歩人類の明るい未来を見ていたんだけど、未来が来てみればそれは幻想だった。

 テクノロジーの進歩に人間は追いつけない。これまでの歴史がそうだったように、行き着くところまで行き着き、破局を経験して初めて学ぶことができるのだと思う。

最終回のサブタイトル


キャロル&チューズデイ』は作中でそれらの問題提起をしているにもかかわらず、深く掘り下げることなく楽観的な解決でまとめている。

 でもこれは仕方がない・・・解決方法なんて思いつかないのだから。

 この作品は毎回サブタイトルを洋楽の楽曲タイトルにしている。

 最終回はサム・クックの『A Change Is Gonna Come』という曲。これはアメリカの公民権運動をモチーフにした曲で、「いつかきっと変化は訪れる」という意味だという。

 監督の本当の意図はわからないけど、自分には本作の楽観的な展開を象徴するサブタイトルだな・・・と感じたんだよね。

 もはや為す術もない・・・でも「いつかきっと変化は訪れる」だろうって。

 ただ、歴史の変化は天気のようには変わらない。公民権運動のように多くの軋轢と犠牲の向こう側にあるものだとしたら、今はまだその手前なんだと思う。

 だとしたら、ちょっと気が重くなるね。

Motherとはなにか


 そしてラストシーン。奇跡の七分間に流れる楽曲『Mother』の歌詞も象徴的なんだよね。

We are the World』では「与えることから始めよう」と能動的な行動を促すのに対して『Mother』では「進むべき道を示して」と懇願する。

 誰もがどうしていいのかわからない。『We are the World』のように『手を差し伸べて』救える問題ではないのだから。
1話から枕詞のように流れる『奇跡の7分間』
序盤では『2人のステージ』だと思わせる上手い演出でした。
©ボンズ・渡辺信一郎/キャロル&チューズデイ製作委員会

 『Mother』の意味の一つはチューズデイの母親をイメージしているのだろうけど、もちろんそれだけじゃないはずで、『We are the World』が神を強く意識しているのに対して、同じような『大いなる存在』としての『Mother』なのかもしれない。

 だとしたら『神頼み』という非常に日本的な感覚が出ていて面白いかもしれないね。アメリカ的な舞台を描きながら皮肉ではあるけど。

最後に:いま、音楽に世界を変える力はあるか・・・


 子供の頃に夢見ていた未来は思っていたほど輝かしいものではないみたい・・・いま世界の歴史は混沌に向かって動いているように見える。この流れに抗うことは難しいよね。1930年代の人々もそんなかんじだったのかな・・・。

 そんな風に考えている折、この作品に出会った。

 色々書いたけど監督がどう意図してこの作品を作ったのかはわからない。素直に感動した人もいたと思うし、それを否定するつもりもないです。

 実際にこだわりの楽曲は良かったし、なんだかんだ2クール脱落せずに見せてくれる力のある作品だったと思います。

 でも自分には喉越しの良いおとぎ話に見えたのも事実。でも渡辺信一郎 総監督はそんなこと百も承知で、でも『We are the World』みたいな事をアニメでやりたかったんだと思う。世代的に'65年生まれってドンピシャだもんね。

 もはや現実は救えない・・・ならば、せめておとぎ話のなかだけでも理想を語ろう。絶望した現代人の癒しとして・・・そう監督が思ったかはわからないけど。

 それは、今まさに混沌に向かって落ちていく恐怖の裏返し。『キャロル&チューズデイ』の美しい物語は、自分たちがもはや『神頼み』しかできない無力さをを突きつけられた気がするのです。

追記:『ありきたりな奇跡』の意味


それにしても公式サイトのキャッチコピーはどういう意図なんだろう。
きっと忘れない。
あの、永遠のような一瞬を。
あの、ありきたりな奇跡を。
『キャロル&チューズデイ』公式サイトより

ありきたりな奇跡』はある意味『ベタ』なクライマックスを意味しているのか。だとしたら、物語の奇跡なんて、どれも『ありきたり』だっていう、この作品自体がメタフィクションだと示唆するような表現なのかも・・・。

原作:BONES・渡辺信一郎
総監督:渡辺信一郎/監督:堀 元宣
色彩設計:垣田由紀子
アニメーション制作:ボンズ

『キャロル&チューズデイ』 公式サイト:http://caroleandtuesday.com

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