劇場版『フリクリ オルタナ』前作未見の感想:絶望を抱えて希望を叫ぶ、オルタナティヴ・セカイ系の挑戦

2018/09/12

アニメ

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 劇場版「フリクリ オルタナ」を映画館で見てきました。前作(旧作)は全く知らないで見たけど全然大丈夫でしたね。

 賛否両論の評価みたいですが、率直に言うと結構良かったです。いい空気感だったな。直後の印象は、女子高生+セカイ系の『ほろ苦青春ストーリー』って感じ。感動で号泣とかじゃないけどなんとも言えない余韻を残した作品でした。
主人公のカナブンこと河本カナ
PV・MVより画像引用(当ブログの画像引用について
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 でもこの余韻ってなんだろう・・・って考えてみると、これがなかなか深い気がするんですよね。青春を描いているようで人生そのものを描いている気がしたし、典型的なセカイ系のようでその枠組みを否定しているような結末だと思いました。

 まさに『オルタナ』のタイトルにふさわしい挑戦的な作品だった気がします。

 自分は前作未見だったので余計な情報がないぶん素直に楽しめた気がしますね。映像もテレビ的とはいえスクリーンに映える美しさだったと思うし。

 ただ、劇場版と銘打っていますが非常に特殊な構成の作品で、そこが正直気になったかな。映画というより6話完結の中編アニメとして鑑賞したかったかも。

 前作ファンからみると見当違いな感想かもしれないけど、ほとんど前知識のない人間の解釈として読んでいただけると嬉しいです!

※後半よりネタバレありのレビューとなります。
※前作未見の考察のため独自の解釈です。違ってたらゴメンなさい。コメントで教えてくれると嬉しいです。

 
本PV映像(公式) 前半がオルタナで後半がプログレ。
PVの出来はすごくカッコイイ。


【大まかな目次】

前作見てなくて心配だったけど


 ところで前作のオリジナル『フリクリ』って恥ずかしながら全然知らなかったんですよ。有名な作品で熱烈なファンがたくさんいるんですね。ホントまだまだ知らないこといっぱいです。

 公開されたのが2000年頃だそうで、そのころは一番アニメから遠ざかってた時期だったんですよね。ましてオリジナルビデオ(OVA)作品は触れる機会なくって。

 でもたった6話構成なんですよね。それでこれほど熱烈なファンがいるなんてすごいな。どんな作品なんだろ?ってWikipediaを見たら『斬新な演出と構成で、ピロウズの音楽の使い方が秀逸。しかも難解な設定で・・・』って、具体的なことはほとんどわからないけど、確かにかなり興味を引く作品

 そんな前作を見ないで『続編』を楽しめるか心配ですよね。正直『スルーしようかな』って思ってたくらいで。でも公開直後のTwitterで『前作未見の人の方が楽しめるかも』みたいな感想を見たら『意外とイケるかも!』って俄然興味が湧いてきました。

前作未見でも全然OKだった


 結果的には前作未見でも全然OK。とりあえず意味不明なモヤモヤとかは残らなかったな。まあ、自分が気付いてないだけかもしれないけど。

 いろいろ謎は多いのですが、もともと謎の多い作品みたいなので『そういうもの』だと思えば特にひっかかる所はなかったんですよね。登場人物のほとんどは前作と変わってるみたいだし別作品だと思っても特に問題ない気がします。

 逆にオリジナルのファンは微妙な類似点が逆に気になってツライみたい。『前作を知らない人の方が楽しめるという説』って案外正しいかなって。自分は素直に入ることができました。
前作からのキャラ『ハル子』
彼女の描きかたがファンには特に抵抗が大きい
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 でも勘違いしてたのは、『オルタナ』と『プログレ』で一つの作品かと思ってたけど、実際はそれぞれ別のエピソードっぽいですね。オルタナはこれ自体で『一応完結』してるみたいですね。

劇場版だけど『TV一挙放送』状態なのがちょっと残念


 ストーリー自体は後で書きますが結構良かったんですよね。ただ構成がちょっと特殊ですよね。6話のエピソードをそのまま一挙上映してる形式なんですよね。

 先行公開したアメリカ版は6話+6話で普通に放映したんだそうですね。日本では劇場版なので、映画として再構成されたのかと思ったら、OP/EDカットで繋げただけ。まあ最後のエンディングはすごくいい出来でしたけど。

 どうしてこういう劇場版になったんだろう・・・というのがちょっと謎ですね。オリジナル版の6話OVA形式にこだわったんでしょうか。

 この作品って前作とか関係なく見た場合、TVで6話で放送したら割といい評判になるレベルだと思うんです。TVらしいテンポだし。話数によってはここでエンディングが入れば最高なのに!って場面がありました。

 劇場版だと余韻を楽しむ間もなくすぐ次のエピソードに行っちゃうんですよね。はっきり言ってこれはもったいないなぁって。せっかく劇場版を銘打つなら再構成して映画のテンポで見たかったかな。

 たとえばTV放映の前に劇場版を上映した『亜人』なんかは再構成してたけどすごく良かったんですよね。TV版にはないテンポ感で夢中になれました。まあ『オルタナ』がTV放送するかどうかは不明なんですけど。
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この日常はいつか終わるという現実


 構成には文句はありますが、内容自体は結構好きでした。独特の空気感のある作品で、ドタバタ明るいんだけど渋みのある感じ・・・っていうのかな。

 この作品の空気感ってちょっと『宇宙よりも遠い場所』を連想しちゃうんですよね。空気感が似てるだけでテーマ的には全然違うんだけどね。独特の色合いがそう感じるのかな。

 『よりもい』が日常を打破していくのに対して、『オルタナ』は日常を死守していくストーリー。でも『この日々はいずれ終わる』という点が共通するのかも。
4人の青春に焦点を当てていくと思いきや・・・
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 『明日が昨日の寄せ集め』とか『毎日が毎日毎日続くわけじゃない』とか、いかにも17歳の青春時代って感じのセリフなんだけど、実は人生半ば過ぎたような自分にもすっごい刺さるセリフだったりするんですよね。

 人生自体が『つかの間の青春』みたいなものだな・・・って、最近すごい感じるんですよね。青春の日々が必ず終わるように、今の日常も必ず終わる。どんどん変わっていずれ終わる。 

 今の日常がいつまでも続かないことはわかりきった事実。この作品を見てた時、ずっとその事実を突きつけられている気がしました。


※次項よりネタバレありの考察となります。


このラストシーンはハッピーエンドなのか?


 この作品のラストシーンって、どう解釈しました?

 自己を克服して世界を救ったかに見えるカナブン。でも救ったのは自分の町だけ。親友だと思っていたペッツもいない。あそこは地球で無い事は確かだけど・・・火星?それとも全く別の星
ロボは結局謎だけアイロンを守る宇宙人の戦力と解釈
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 いずれにせよ特殊な力によって部分的でも『昨日を寄せ集めたような日常』が続く世界を取り戻したカナブン。でもこれってハッピーエンドなんですかね?

 あの世界だって『いつまでも続くはずが無い』事は明らかですよね。そして、おそらくだれもが『そんなことわかっている』世界。地球はどうやら平らに潰されて帰還不可能だし。

シニカルな結末・・・だけど、


 根本的な問題は何も解決されず、ペッツとの関係も解決されない。確実に終わる事だけは分かっている日常。それを大事にして生きる。

 夢とか希望とか・・・前半たっぷり使って語っていた恋愛や将来の夢があまりに空しく響きます。終わる世界で何を頑張るの?って。前半でヒジリーやモッさんの青春をたっぷり描いたのってその空虚さを感じるため?

 これって、すさまじくシニカルな結末じゃないですか?
前半で描かれる『恋や夢』はどう解釈すればいいのか
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 でもね・・・って思う。終わる事がわかってる人生。『明日が昨日の寄せ集め』みたいな日々でも・・・やっぱり生きたい。やっぱり夢や希望を語っていたいって思う。人間ってそういうものだよねって。

絶望的なほど当然のペッツの選択


 だからこそペッツも友達と別れてまで生きるのを選んだんですよね。ペッツはいわば正規の移住者として脱出して、カナブンたちはもう一つの方法で脱出した。この作品の『オルタナ』にはきっとこの意味も込められてる気がします。

 ペッツとカナブンの別れのシーン。あそこはすごく切なかったですね。本音をぶつけ合って傷ついたけど最後は友情を深めて和解する・・・というのは『儚い夢』だったって。この作品の核になるシーンのような気がします。

 つまらないくらい当たり前の選択。ペッツは生きることを選んだ。だから友達とお別れした。もちろん逡巡はあったんだと思うし、あんな親の元に居るのだって苦痛だったんだと思う。でもやっぱり選んだ。

 どうせ終わってしまう日常なのに、それでも生きることを選んでしまう。
カナブンに対する憎しみと友情
ペッツの相反する心が垣間見えたシーン
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 ハル子に嫌味を言われても淡々とヘアピンを交換して去っていくペッツ。カナブンに助けられたのにね。あの行為ってペッツの良心とも言えるけど、友達を裏切るという罪悪感を自分のなかで埋めあわせる行為のようにも感じる。

 ペッツにとってはギリギリの精神状態かもしれない。友達に黙って自分だけ生き残るだもん。でも現実はこんなもの。美しくもなんともない。仕方ない。絶望的なほど当然の選択

諦念と向き合いながらも、人は夢と希望を叫ぶ


 だから、もしかしてカナブンが転移した先でペッツと再会できるんじゃないか・・・って期待したんですよね。それならハッピーエンドだよね・・・って。

 でも、それは明示されなかった。もちろん可能性としてはゼロじゃない。同じ火星に転移したのかもしれないしね。

 でも自分はそうはならない気がする。この作品はそういう予定調和を拒否している気がするんですよね。なんでそう思うのか。

 現実とはこんなもの・・・という諦念と向き合いながらも人は夢と希望を語ってしまう。ファンタジーの形をとりながらこのテーマを叫ぶためにこの作品は作られた気がするんです。
一見ゆるふわな青春ストーリーだが
この作品はハッピーエンドを拒絶しているように見える
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 自分にはこの作品のキャッチコピー『走れ、できるだけテキトーに』がそのテーマを暗示しているように感じたんですよね。一見するとアンビバレントな言葉。

 決してスタッフの『テキトーに制作しま〜す』宣言じゃなくて『終わるのが決まっているのにどうして生きるのか』という、矛盾に満ちた人生に対する一つの回答のような気がしました。

この作品はオルタナティヴ・セカイ系


 この作品って最初の印象ではいかにもセカイ系の作品(wikipedia)だなぁ・・・って思ったんですよね。いまさらセカイ系とはちょっと陳腐だなぁと。でもよく考えるとちょっと違う気がするんですよね。

 自分は『フリクリ オルタナ』は典型的なセカイ系の形式に見えて、実は『セカイ系』を否定する『オルタナティヴ・セカイ系』なんじゃないかと感じたんですよね。

 救うのは『世界』ではなく『自分の街』。見える範囲の小さな世界。そして、主人公は誰かに依存するでもなく、誰かを犠牲にするでもなく、自らも犠牲にせずに救う。でも救ったからといって現実は変わらない
アイロンはフリクリに共通する舞台装置
本作は続編というより同じ舞台を利用した別作品ではないか
(c) 2018 Production I.G / 東宝

 この作品はエヴァに代表されるセカイ系アニメの形式をとりながら、そのアンチテーゼを提示したのかもしれないなって感じました。

 それは現実を生きろという意味かもしれないし、大きな世界より目に見える身近な世界を語れということかもしれない。このラストシーンの不思議な後味には、なにかそんな風に訴えるものを感じるんですよね。

 深読みが過ぎるよ!って言われればその通りなのですが(笑)前作未見だからこその自由さで想像を巡らせてみました。

最後に:一番の謎は・・・


 次作の『プログレ』は予告編が素晴らしいですよね。かなり見たくなる作品ですが、アメリカではプログレが先に放送されたそうですね。

 実際プログレッシヴ・ロックは70年代、オルタナティヴ・ロックは80年代という順番みたいだし。登場人物もオリジナルは小学生、プログレが中学生、オルタナが高校生ですもんね。

 なぜ日本では逆の公開なのか・・・構成の件といい、正直言って本編の謎以上に『謎』の多い作品ですが(笑)見に行けば何かわかるかな?

 プログレを見た後は傑作の誉れ高いオリジナル『フリクリ』も楽しみたいですね。

【訂正】辺田友美(ペッツ)をベッツと誤記していました。お詫びして訂正いたします。(2018/9/15)

監督:上村泰
総監督:本広克行
脚本:岩井秀人
制作:Production I.G/NUT/REVOROOT
フリクリ オルタナ・プログレ公式サイト

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