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| ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会2024 |
『コロンブスの卵』という言葉は、しばしば発想の転換という意味で使われることがある。語源を調べると、アメリカ大陸の(再)発見で有名になったコロンブスの、とある会合での出来事がエピソードとして紹介される。
同席する貴族たちが「西へ航海すれば誰にでも見つけられただろう」と軽口を言うのを知った彼は「それではこの卵を素手だけで立てることはできますか?」と問いかける。貴族たちが試行錯誤しながら立てられずにいると、コロンブスはその卵の底をテーブルで潰して立ててしまう。つまり分かってしまえば当たり前のことだが、それを実際に思いつくのは難しい事を示したのだ。
さて、今回公開された『最終楽章 響け!ユーフォニアム前編』において、小川太一監督は見事に卵を立てたように見える。この作品は最終回を迎えたテレビシリーズ3期の劇場版として発表された。私はこの3期のテレビシリーズを絶賛しているのだが、放送当時からこの作品を劇場版にまとめるのはとても難しいのではないかと思っていた。そもそも3期ですら全13話にまとめるには内容が多かったが、脚本の花田十輝氏による天才的な構成によって見事に収まったように見えるからだ。
物語中心の構成のため、演奏シーンが少ないという点に不満を挙げる人はいたが、自分にはそれを逆手に取った脚本に見えてむしろポジティブに評価していた。だが劇場版として再構成される時、これではあまりに緻密すぎて削り様がないのだ。
テレビシリーズ3期は前半に主人公の黄前久美子が、部長として悩みながらも皆の信頼を勝ち得ていくエピソードを交えながら、その陰では黒江真由という強豪校からの転校生によって、肝心の奏者として自らの足元が崩れ去っていく姿を描いている。さらに安定できたはずの部内も、顧問である滝の指導に対する疑問から大きく混乱してしまう。部長として、そしていち奏者として精神的に揺らいでしまう久美子。それに追い打ちをかけるように無二の親友であり共に幹部でもある高坂麗奈と意見が対立してしまい、その挙げ句『部長失格』と強烈な烙印を押されてしまう。
このようなハードなエピソードの中に、久美子の元彼となった秀一、そしてコントラバスの緑輝(みどり)ちゃんと求くんの恋のエピソードなどが織り込まれる事で、硬軟入り混じる絶妙なバランスをとっているのだ。テーマを絞って再構成をしようにも、どこを削っても物足りなくなる。それどころか全てのバランスが崩れてしまう恐れがあるのだ。
テレビシリーズ2期の劇場版とされる『届けたいメロディー』の監督であった小川太一氏は、その作品でテーマを絞りつつ見事な再構成を行い、総集編の枠を超えた感動をもたらした事で高い評価を得ている。今回、3期劇場版においても小川さんが監督にクレジットされていることを私を含め多くの人が歓迎した。
だがしかし、である。2期に比べてもあまりにも再構成が難しいのである。今回は『届けたいメロディー』とちがい前後編の2部作である。それでも13話を再構成するには短すぎる。中編を含めた3部作の期待の声も多かったのは当然だろう。だが2部作なのは確定した。どう構成するべきかなど全く思いつかないが、久美子たちが顧問の滝を信頼するように、私たちファンも小川監督を信じるしかない。それは図らずも劇中でチューバ担当の鈴木美玲が2、3年生にとっての滝を『神格化』と表現したようなものであった。
そして公開日を迎え鑑賞を終えた私は、劇中の部員たちのように動揺した。悪くない、全然悪くない。待望の演奏シーンの品質・構成も見事だった。感動もした。だが、あまりにもたくさんのエピソードがカットされていた。あがた祭りはもちろん、緑輝の恋のシーンも跡形もなかった。そしてこの『前編』には、はち切れんばかりにキズギスした空気が充満していた。これでいいのか?ユーフォってギスギスだけの作品じゃない所が魅力ではなかったか?あれだけ歓迎していた小川監督に対して、それを信じきれない自分がいた。部員の不満、久美子の揺れる気持ち、そして麗奈の言葉が自分の中で小川監督に対する信頼としてオーバーラップした。
だが、改めて落ち着いて構成の意図を考えると新たなものが見えてくる。まず、明らかに進行速度が早すぎる。13話のシリーズのうちすでに10話まで進めてしまっている。穏当な総集編であれば2回目のオーディション発表で久美子がソリ担当を逃す8話程度が区切りだろう。しかも自由曲のフルバージョンまで前編で終わらせてしまっている。これでは後編が120分だとしても尺に余裕がありすぎる。この異様なくらいの進行の速さは大胆な再構成を意図していることは明らかだ。
そして誰もが驚かされたのは終了後の劇場予告である。テレビシリーズにはなかった転校生 真由の自室シーンのみが映されたそのごく短い予告。それは後編についての『ある事』を強く示唆している。それはつまり『削る』のではなく『新たに加える』ことだ。
削ることばかりに囚われていた自分には、新たに加えることなんて想像もしていなかった。まさに発想の転換である。後編の構成については現在多くの説が唱えられている。全国ソリの変更、緑輝ちゃんエピソードの再構成、原作短編エピソードの挿入・・・などなど。しかし真由について深掘りされるだろうことは多くのファンに共通した見方だ。上映前から新規カットがあるという話はあった。しかしそれは、演奏シーンであったり、手直しのような小規模なものであるとの見方が大半であったろう。なぜなら尺的に厳しいのはファンの共通認識であったからだ。
今回前編において、ウルトラCのような構成を繰り出してきた小川監督。当初は総集編だと誰もが思っていた中で、後編が一体どうなるのかわからないと思わせ、ここまでファンの期待を盛り上げることができた時点でこれ以上ない成果だろう。そして今、誰もがその着地を固唾を飲んで見守っている。ウルトラCの技は成功するのか。立てた卵から手を離した時、果たしてその卵は見事に直立し続けるだろうか・・・私たちは9月の公開日までこの不確定な『高揚感』を楽しめるのだ。
さて、卵を立てるのに比べて、コロンブスによるアメリカ大陸の発見は実際には苦難の航海であった。当時はまだ地球平面説を信じる船員も多く、彼は航海が長引くにつれて自らも球体説を信じていいのか不安に苛まされたという。
今回、前編で思いがけず感動したシーンがあった。それは久美子が卒業生である田中あすかの部屋を訪問した場面だ。苦境を吐露する久美子に対し、あすかは顧問の滝先生を『滝さん』と呼び、彼にも迷いがあるはずだと看破する。滝を神格化している部員たちには見えない視点から、彼もただ一人の人間にすぎないと言うのだ。それはかつて久美子から『特別なんかじゃないただの高校生じゃないか』と看破された彼女だからこそ説得力を持つセリフである。久美子はその言葉の真意を受け取りクライマックスの演説に繋がるのである。
翻ってファンである私もまた、小川監督を神格化し『信じる』の一言で済ませてはいなかったろうか。監督にとっても一人の人間として不安や迷いがあり、これがそれらの苦難の末に生み出される作品であることを、今一度思い出して9月の後編を待ちたいと思う。

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